稲川会(いながわかい)|東京都【指定暴力団】
目次
団体名
稲川会(いながわかい)【指定暴力団】
稲川会代紋
稲川会本拠所在地
総本部:東京都港区六本木7-8-4
本家:神奈川県川崎市川崎区貝塚1-6-12
稲川会代表者
会長:辛炳圭(清田次郎)
稲川会構成員人数
2,900名
指定年月日
1992年6月23日
稲川会組織図
会 長:清田次郎
■執行部
理事長:内堀和也(三代目山川一家総長)
幹事長:小原忠悦(三代目三日月一家総長)
本部長:吉原勝彦(六代目七熊一家総長)
組織委員長:國近哲也(七代目三本杉一家総長)
渉外委員長:坂井繁生(四代目森田一家総長)
運営委員長:鈴木政行(二代目杉浦一家総長)
慶弔委員長:池田龍治(十二代目小金井一家総長)
統括委員長:貞方留義(三代目埋地一家総長)
筆頭執行部:沖 勝彦(二代目山瀬一家総長)
執行部:中島順成(二代目中島一家総長)
執行部:鈴木郁夫(七代目田中一家総長)
執行部:馬場知己(七代目佃政一家総長)
執行部:秋田 昇(十四代目大草一家代表)
■常任相談役
遠藤通夫(相模一家総長)
井積宏之(四代目越路家一家総長)
遠藤貴嗣(紘龍一家総長)
山崎功二(七代目大場一家総長)
木川孝始(習志野一家総長)
小谷野一郎(八代目八木田一家総長)
■会長付
飛田龍一(飛田組組長)
■理事長付
熊谷正敏(十一代目碑文谷一家総長)
中村 等(十一代目堀井一家総長)
■直参
荒木功年(荒木一家総長)
小林勝彦(裕統一家総長)
小沼武夫(小沼組組長)
中島末継(岐阜一家総長)
沖田勝吾(二代目富澤一家総長)
松田晃昇(七代目千住一家総長)
加藤勝朗(奥州加藤一家総長)
石田謙次(七代目仲新田一家総長)
日永孝三(七代目相ノ川一家総長)
坂井昭彦(二代目前橋一家総長)
渡邊英毅(二代目稲秋一家総長)
渡邊慎丈(二代目松本一家総長)
松尾次郎(五代目林一家総長)
君田 徹(六代目親之助一家総長)
栗林 力(四代目巽一家総長)
平 憲雄(平組組長)
小林喜八郎(小林組組長)
保阪貫作(四代目山梨一家総長)
今村鉄男(九代目横須賀一家総長)
金津 勇(五代目加藤一家総長)
伊保橋 大(六代目柴田一家総長)
及川雅憲(二代目髙橋組組長)
森田晃向(六代目上州共和一家総長)
髙田嘉人(二代目髙田一家総長)
小林 稔(三代目山川一家二代目内堀組組長)
坂本芳成(坂本組組長)
佐野照明(佐野組組長)
中野義之(六代目木暮一家総長)
稲川会歴代代表者名
初代:稲川聖城
二代目:石井隆匡(五代目横須賀一家総長)
三代目:稲川裕紘(二代目稲川一家総長)
四代目:角田吉男(五代目京葉七熊一家総長)
五代目:辛炳圭(清田次郎)(二代目山川一家総長)
稲川会総本部ストリートビュー
稲川会本家ストリートビュー
備考
稲川会(いながわかい)は、東京都港区六本木に総本部を置く日本の指定暴力団。六代目山口組、住吉会および神戸山口組とともに公安委員会から主要暴力団として位置づけられている
1949年4月、鶴岡政次郎という博徒の配下にあった稲川角二(のちの稲川聖城)が静岡県熱海市咲見町で「稲川組」を結成。事務所の看板を「稲川興業」とした。その後、「鶴政会」、「錦政会」、「稲川一家」と名称変更を経て、現在の「稲川会」となった。
1985年に石井隆匡を会長に据える二代目体制が発足。1990年に稲川聖城の実子にあたる稲川裕紘が三代目会長に就任。1996年には稲川裕紘三代目会長が渡辺芳則五代目山口組組長と五分の兄弟盃を交わす。
2005年に稲川裕紘三代目会長が死去。翌2006年に角田吉男が四代目体制を発足させた。10月には稲川会二代目山川一家若頭・内堀和也内堀組組長が、六代目山口組二代目弘道会若頭・竹内照明二代目高山組組長と五分の兄弟盃を交わした。その際の後見人は六代目山口組若頭・髙山清司二代目弘道会会長と稲川会理事長・辛炳圭(清田次郎)二代目山川一家総長。取持人は双愛会・塩島正則本部長(のち双愛会六代目会長)で、媒酌人は水野四郎であった。
2010年には会長の角田吉男が東京都内の病院で死去。死因は膵臓癌とされた。77歳であった。そして同年に清田次郎を首領に据える五代目体制が発足した。2011年3月、傘下組織の内紛により直系組長らにより「山梨侠友會」が結成された。
2013年1月23日、アメリカ合衆国財務省は稲川会と清田次郎会長と内堀和雄理事長を金融制裁の対象に指定した。
2015年8月に結成された神戸山口組を承認せず、六代目山口組との関係を重視する方針である。